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R.バルセカールの教え「人生を心から楽しむ―罪悪感からの解放」

第19回 3nd Season Vol.2 高木悠鼓 たかぎ ゆうこ

Achive 2004

高木悠鼓さん1
高木悠鼓さん2
高木悠鼓さんポスター
日時:2004年3月6日(土)PM3:30〜PM5:30(3:00開場)
料金:¥1500‐予約不要(もしくは¥1000+500R)※500Rは地域通貨のレインボーリングです)
後援:(株)ナチュラルスピリット
場所:青山道場〒港区北青山2-12-39 福澤ビルB1
Tel:03-3401-2607(AM10:00〜PM8:00)

  高木悠鼓さんに新刊「人生を心から楽しむ」の著者、R.バルセカールの教えについてお話ししていただきました。
高木さんより:ラメッシ・バルセカールは今、欧米で最も注目を集めるインドの賢者であり、インドの非二元論哲学、アドバイタを非常にわかりやすく、普通の人が平和に生きていくことに役立つように教える先生として有名です。
  今回は、ラメッシ・バルセカールのシンプルな教え、存在するすべては意識であり、起ることはすべてが神の意志であり、あらゆる瞬間にその神の意志を受け入れることに究極の平和と涅槃(ニルバーナ)と罪悪感からの解放があるということをお話してみたいと思います。
(ラメッシ・バルセカール著「人生を心から楽しむ」は、マホロバアートから発売されています)。
1st Season2nd Seasonにも高木悠鼓の公演記事がありますのでこちらも御覧下さい。


プロフィール
高木悠鼓(Takaki Yuko)
大学卒業後、高校教員、海外遊学、会社員、専門学校講師を経て、現在は出版社を経営する。マホロバ アート代表。
著書に、「人をめぐる冒険」、「楽しいお金」、訳書に「今ここに、死と不死を見る」、「リヴィング・ウィズ・ジョイ」などがある。

http://www.mahoroba-art.co.jp
同社の出版物紹介の他、高木さんのコラムも読めます。

高木悠鼓さん4 高木悠鼓さん5
高木悠鼓さん6 高木悠鼓さん7



●E.N.さんの感想   高木さんのお話を聞いたE.N.さんより、感想が寄せられました。
  非常にいい内容だったので、皆さんにも紹介させていただきます。
素敵な催しをいつもありがとうございます。
特に今回の高木さんのお話は、今まさに聞きたかったことです。
「よくぞ企画して下さいました!」という気持ちです。
確かに地味な内容ではあるけれど、これ、かなりヒットなんだけどなぁ・・・。
D・ハーディングも確かに響くものがあるけれど、バルセカールは見事、今の私にはヒットしまくりました。
この世に情報はあふれているけれど、自分が本当に望んでいる情報を得られることなど滅多にないことです。でもその”滅多にないこと”がこのバルセカールです。
これも神の意思・・・ってやつですね。
少し長くなりますが、その訳をお話させて下さい。
高木さんもお話した通り、ここ数年は私も人間段階の「自分の描いたものを人生で実現する」というパワフルな方法に魅了されっぱなしでした。
これによって生きる喜びや深い感動を知ることができたし、何より未来に希望が持てるようになりました。
ポジティブ・シンキングをしているつもりはないのに、結果としてポジティブ・シンカーになっているという感じですね。

しかし同時に、言葉にならないモヤモヤが胸の奥深くに積もっていったのも事実です。
この段階の人はよく落ち込むと、高木さんもおっしゃっていましたよね。
私にとってそのモヤモヤとは、落ち込んでいる私の現在をA地点だとして、「理想の状態」をB地点だとすると、いつもAからBになろうとして、実はすごい努力をしている自分に気づいたことから始まりました。
Bになれたら、それはとっても嬉しいのだけど、またいつAに戻るか分からないから常に見えない努力をするのです。
つまりAである今の自分を無条件に愛せない、いつも”今の私”より”未来の理想の私”の方が価値が上な訳です。
そんな価値観を持っていたものですから、知らず知らずとストレスが募っていきました。
「なんか違うよなぁ」という感じをいつも抱えていました。
AかBかという二元論的な視点を超えたところでのみ、本当に求めていたものを得られることは何となく感じていましたが、どうすればよいのか分からなかったのです。
そんな疑問が頂点に達した時に、バルセカールを読みました。
理屈を超えたところで、すべてがしっくり、おさまるべきところにおさまったような気がして。
と同時に、新たなことが見えてきました。
一つは、私がいかに”ある特定の理想の人生”を心に描いて、その実現のために生きてきたかということにはっとしました。
「結果に執着しない」ということを分かって実行していたつもりだったのですが・・・。
びっくりです。それほど「こういう人生にならなくては。私はそのために生きているんだから」という考えに支配されていたみたいです。
それに気づいた後、今までの確固たる目標が全て消えてしまって、無気力状態に陥りました(今もちょっと)。
私の頭が「未来のために生きるのでなければ、生きる意味なんてないじゃん」とまくしたてているのです。
もう一つは、自分自身をひどく特別視してきたこと。
「私はスピリチュアルで、描く人生を次々と実現できる召された人間なのだ!」
と言葉にすると、何ともお恥ずかしいのですが、私は自分自身を、強烈な特別意識で囲っていたのですよ。
そのため、エゴがどんどん肥大して、素直に生きられなくなってしまっていました。
ショックを受けると同時に、ほっとしている今の自分です。
&まだ少し抵抗しています。

これからどういう風になるか分からないけれど、こんな流れになったのも、すべて神の意思でしかありえないのだと思います。
どうにかしようと努力せずに、何が起こるのか見ていこうと思っています。

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